TV通販!


 ケーブルテレビのTV通販のCMを見ていると、気になることばがある。商品の紹介の後、「この後30分限り」と言って、「もう1本プレゼント」とか「半額」だなどという。30分を過ぎたら、プレゼントはないと言う。

 ところが、そのCMの後、数時間後に、まったく同じCMを繰返す。一日に何回も繰返す。「この後、30分だけ」「30分限り」という言葉が繰り返されている。「だけ」や「限り」ということばの意味がおかしくなっている。

 通販の世界では当たり前のことなのかも知れないが、コマーシャリズムが言葉の意味を壊しているように思えてならない。毎日、何度も何度も「30分限り」が繰返されては、 日本語の危うさを感じる。

 まるで、毎日のように特売やバーゲンをやっているのと似ている。セールが続いたら、それはセールではない。それが当たり前のようになるとおかしいのだが、大勢の人がそんなコマーシャリズムの波に乗せられているのではと気になってならない。

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貧困


便利さの代償として払うものは心の豊かさだ。かつてエアコンもない時代、僕らは金はなくとも、心は豊かだったように思う。

今、ぼくらは心を捨てて、豊かさを手に入れた。そして、金銭的に裕福な人たちと金銭的に貧しい人たちという大きな格差を生み出した。

ぼくは年収において貧困層の中にいる。だが、金銭的に欲求もなければ、地位や名誉の欲求もない。

ただ、誰も恨まず、妬まず、崇拝せず、精神的豊かさのみ求め、人生を全うしたいと思う。

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心の傷


外国人相手に日本語の間違いを注意したのだが、それがしつこく追求したり、嫌みな言い方だったりすると、相手の心を傷つけることになる。

責めてるつもりはなく、ただ誤りを直そうとしただけでも、それが相手の自尊心を傷つけているとしたら、やはり言い方に気をつけなければならない。

どんなに相手が間違っていると思っても、責めてはいけないということだ。責めれば、その人の自尊心を傷つける。心の傷は癒やせない。

これは教師にとって大事なことだが、人との交際においても重要なことだ。人を傷つければ、必ず自分にはね返ってきて傷つけられられるということだ。

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傷つけあう!


今日も無意識のうちに人を傷つけた。

案の定、刃が帰って来て、ぼくは傷つけられた。

傷つけられて、傷つけたことに気づいた。

人を傷つけたら、必ず自分に返ってくる。

生きている限り、人を傷つけ、人に傷つけられる。

もしも、それが人生なら、生きていることがこの上なく苦痛に感じられる。

うんざりだ。

平穏な世界が欲しい。

今、望むのはただそれだけだ。

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東京の満員電車


 混雑率200%前後の電車に乗る。ドアの前で、顔をガラスに押し付けるようにして。乗っている。とある駅で押し出されて一旦降りたら、なかなか乗れなくなる。それでも無理やり乗り込む。

 車内アナウンスが繰り返し言う。「ドア付近のお客様はドアに挟まれないよう荷物をお引きください。」

 ぎゅっと荷物を体に引き寄せた。ドアが締まり、身動きできないまま、運ばれる。次の駅で、反対側のドアが開き、客が少し減って、また乗ってくる。

 少し体を動かそうとして、気づいた。上着の裾がドアに挟まっていて、動けない。引き抜こうとしたができない。次の駅についたら、こちらのドアが開く、それまで我慢する他ない。

 恥ずかしい。次の駅に着いたら、待っている人たちが言うだろう。「ドアから青い布切れがはみ出ているぞ」と。ドアが開いたら、布切れの持ち主が、恥ずかしさで、赤い顔をして立っている。

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人を傷つける言葉!


人を傷つける言葉がある。

「バカ!」「あほ!」「間抜け!」「死ね!」等など。

これらだけではない。

相手の弱点や嫌がることを言って傷つけることもある。

これらの言葉、長い間言ったことも打ったこともないが、今、久しぶりに打ち込んだ。

実は「死ね!」ということば、教師時代に女子高生から言われたことがある。

その時のショックは忘れられない。

その女子高生の顔も声も忘れられない。

ものすごい怒りがこみ上げてきた。

だが、今、思うに、ぼくはその女子生徒に対して、無意識のうちに傷つけていたのだろう。

だから、彼女はそんな言葉をぼくに投げつけたのだろう。

今、思うことは一つ、人の心を傷つけると、必ず、自分も傷つけられるということだ。

おそらく、ぼくが人の心を傷つけたのはその時だけではないだろう。

何度か、人から、傷つける言葉を返されたことがある。

それらはすべて、ぼくが相手を傷つけたからなのだろう。

自分には人をいたわる心、思いやる心があると思っていたが、それは嘘だった。

このごろになって、初めて少しずつだが手に入れられるようになったと思っている。

他人は鏡のようなものなのだ。

自分の意識がそのまま反映するのだ。

気づくのが遅きに過ぎたようだが、残りの人生、真剣に生き方を模索したい。

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処世術-人と接する時!


人と接するとき、気をつけるべきは、どんな人であれ、決して相手の心を傷つけないことだ。

傷つければ、必ず、自分も傷つけられるからだ。

人と接するとき、忘れてはならないことは相手も自分と同じく人間であるということ。

自分のことを考えて見ればいい。傷つきやすく、センチメンタルな人間だということを。

人と接するとき、必ず覚えておいたほうがいいことは、相手の人格は己と同じく尊いということだ。

人と接するとき、決して忘れてはいけないことがある。人は誰でも精いっぱい生きているということだ。己と同じように。

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丑三つ時


今、日本では午前2時を過ぎたところ。

所謂、丑三つ時(うしみつどき)だ。

何か危ないことが起こりそうな、不気味な時。

草木も眠る丑三つ時。

死後の世界に通ずる陰の時だ。

嘗ての日本では深夜0時前後の2時間を子の刻、

そして、1時から3時までを丑の刻と言った。

その2時間のうち、3番目の30分間を丑三つ時と言った。

この時間帯は不思議な現象が起こる時、幽霊が出そうな時だ。

だけど、ぼくにはこの時間帯が頭の冴える時だ。

幽霊万歳、出てこい幽霊という気分だ。

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世界はどこへ向かうの?


 母といっしょに最寄駅までバスで行って、そこから、次の駅まで一駅散歩した。それから電車で帰ろうとした時、母の発した言葉に驚いた。

 「えっ!次の駅なの?」

 「当たり前でしょう。一駅散歩したんだから、戻るときは次の駅だよ」

 そう言いながら、思ったことは、母にとって、今、何をしているのかがわからないのだ。今何をしてるのかわからないということは日常的にだれにでもあるだろうが、最近の母には頻繁に怒っていることだ。

 そういえば、ぼくはいま何をしているとはっきり言えるだろうか。ブログを書いている。でも、それが、日常的にしっかり把握できるのは、まだ認知能力があるからだ。それでも、よくあることなのだが、時々、ぼくは、今いったい何をしているんだろうか、今何を言っているのだろうかと思うことがある。

 そういうことが日常的になったら認知症なんだと思った。実際にぼくはいま、何をしているのかよく理解していない。理解できるのはおそらく、後々になってからだ。

 時代もそうだ。今の時代何が起きているのかは後々の時代になってから理解できるのだ。政治、国際情勢において、今、何が起きているのかを把握するのは難しい。

 人生の流れも似たようなものて、どういう流れがあって、どこへ向かっているのかを把握するのは難しい。世界の流れを知ることはなおさら難しいように思える。

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ただより高いものはない


少し前のことだが、職場に知らない人から電話がかかってきて、受話器を取ると、ぼくと同郷の者だとか言って、少し世間話をする。同郷だと言うので、少し話を聞いていると、急に、大豆の先物取引とかで、「これを買っておけば、必ずもうかるから、出資してみませんか」と言う。

ぼくは、その当時、競馬とかパチンコとか、そういうギャンブル依存症から、ようやく立ち直った時期だった。ギャンブルは主催者というか、店が必ず儲かるようにできている。金を投資した人間はほとんどの人が損をするようになっているのだと思っていた時だった。

それで、ぼくは「そんなギャンブルには興味がありません」と言って受話器を置いた。それから数日して、また、電話がかかってきた。すぐに電話を切ろうとしたら、相手は興奮した声で「どうして、こんな儲け話を断るんですか」と言ってきた。ぼくは再び、「興味がないので」と言って電話を切った。

それから、数日が過ぎて、その人は職場までやってきた。とりあえず、会って、しっかりと断ろうとしたら、相当興奮した様子で、「どうして、こんなうまい話を断るんですか」という。ぼくは「そういう儲け話はあなたが儲ければいいでしょう」と言って、帰ってもらった。

こんな話は他の人にもあるのだろうか。また他の国でもあるのだろうか。とにかく儲け話を持って来て、人を誘い込み、大損をさせるような勧誘にはうんざりだ。無料だと言って、何かを注文させる話もある。「儲け話」や「無料」という言葉に人が弱いことを利用しているのだろう。

日本には、「ただより高いものはない」ということわざがある。本当にそうだ。タダだと思ったら、結果は損をするのだ。「儲け話」も同じだ。簡単に大儲けできるという話ほど危険なものはない。「うまい話には裏がある」と言いたい。人の家に行き、数百万円を受け取るだけで数十万円をもらえると言われて乗った話が「オレオレ詐欺」の「受け子」だったりする。

もう一度書く。「ただより高い物はない」、「うまい話には裏がある」のだ。地道にただ地道に稼ぐことほどいい話はないのだ。「ただ」や「楽な儲け話」には気を付けたい。乗せられた結果、家をつぶすかもしれない。どうにもならない状況に陥れられる可能性もあるのだ。

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