善とか正義とか!


殺人者は本当に悪であろうか、と

悩むことがある。

ならば、戦争にかこつけて多くの人を殺した人は悪だろうかと悩むのである。

ドストエフスキーの小説にも出て来たテーマだ。

絶対の善も正義もないのではないだろうかと、ふと思うのだ。

そればかりではない。

日ごろ、人はこうすべきだと言っていることの中にも、

もしかしたら、絶対はないのではないか。

小さいころ、ぼくが「絶対」ということばを使うと、父が怒った。

「この世の中に絶対ということはない」と。

ぼくは今この世にあって、絶対ということばが信じられない。

死刑制度にしてもそうだ、数人殺したから死刑だという。

しかし、戦争で何十人も殺した人は英雄であって、殺人者ではないなんて理解できない。

この世の中に絶対という言葉は存在しない。

正義のために人を殺したのだろうが、それが正義か、絶対間違いのない正義なのだろうか疑問だ。

善という言葉にも疑問がある。

どんなに時代が変わろうと、絶対的なものなんて存在しないような気がしてならない。

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無欲


欲は多ければ多いほど苦しいもの。

欲を一つ剥がせば楽になる。

また一つ欲を剥がせばさらに楽になる。

結局、全くの無欲になれば、

こんなに楽なことはない。

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私利私欲を捨てること!


どんな会社であれ、私利私欲のために生きるなら、破滅する。

どんな政治家であれ、私利私欲のために生きるなら、破滅する。

人は支え合うもの、それを己の欲望だけで生きていれば必ず、支え合う社会から見捨てられる。

サラリーマンで荒れ、公僕であれ、教育者であれ、私利私欲は捨てなければならない。

会社はまた、その社員も上司のためではなく、多くの人のためになることをしなければならない。

社会がどうなろうとかまわない。自分が出世すればいいという人がこの世を動かしたなら、この社会は滅びる。

家族においても同様だ。家族の幸せを考えないで、自分の利益ばかり考えたら、家族は崩壊する。

さて、人が人の発展を願うなら、人の利益を、大きな単位で物事を考えなければならないことは明白だ。

家族は家族のための家族ではない。

会社のための会社ではない。

政治は国のための政治ではない。

常ににあるのはどんな組織であれ、

すべて、人のための家族であり、会社であり、国家なのだということだ。

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サスペンスドラマ!


 母がサスペンスドラマを毎日のように、見たいというので、ケーブルテレビと契約して、毎日、ドラマが見られるように、番組を予約している。ぼくも休みの日は一緒に見ている。

 母は恋愛ドラマやホームドラマ、それに内容が難しいドラマは嫌いだ。単純でわかりやすく、面白おかしいものが好きだ。しかも、好きなサスペンスドラマがどんどん減ってきている

 今、母が好きなドラマは、浅見光彦シリーズと十津川警部シリーズ、金田一耕助シリーズだ。それ以外、見たいというものは数少ない。

 ぼくは母の好みに合わせて再放送を一緒に見ている。ストーリーもセリフもほとんど覚えてしまった。母は昨日見た番組も忘れていて、毎日楽しんてくれる。認知症もいいところがある。

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世界最強!


スマホゲームは人類史上最強の時間泥棒だ。

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東京!


 海外からの観光客が大勢きているという。高尾山に登っていたら、後ろから追い抜いていった老人が「加油!」と声をかけてきた。「謝謝!」と応じながらも、ここは日本だぞ、日本語で話せと心の中でつぶやいた。だが、待てよ、ぼくが中国人に見えたのかもしれない。

 それにしても観光地に行くと、あちこちで、中国語ばかりか、英語、ドイツ語、ベトナム語がよく聞こえてくる。他の言語は認識できないので、わからない。そういえば、我が団地内でも、何語かわからない言語を話す家族が何組かいて、よく三世代で散歩したり、公園でくつろいでいたりする。

 彼らはよく日本の習慣、風俗の中に溶け込んでいるなと感心する。考えて見れば、駅のトイレ表示でもそうだが、至るところで英語と中国語と韓国語の表示がある。だから、過しやすいのかもしれない。これが今の日本だ。

 しかし、この間、ちょっと怖いなと思う一幕があった。とある中国人が電話をかけながら電車に乗り込んできて、そこで電話を切ればいいのだが、ずっと話していたのだ。電車内は静かだ。その男性の声だけが響いている。ぼくの隣にいた日本人の中年の男性が、何度かその人のほうを振り返りながらちょっと怖い顔で見ていた。

 よからぬことに発展しなければいいがと心配していたが、数駅で彼が降りたのでほっとした。やはり文化の違いというのはどうにもならない。郷に入っては郷に従えというが、そう簡単なものではないだろう。日本が国際化しているのは事実だ。そして、文化摩擦が起きるかもしれないという恐れがあるのも事実だ。

 ところで、ぼくは少年のころ、東京を訪れて、まったくなじめなかった。今は東京で仕事をしているが、相変わらず戸惑っている。この駅の中は右側通行だろうか、左側通行なのかとか、街を歩いていても、ある街では誰もが左側を歩いていたりする。そればかりではない。駅の中、早足で移動する人たちの波に飲み込まれて、何度か倒れそうになったりする。

 ぼくは相変わらず、日本に、特に東京に慣れることができない。ぼくはいつまでも異国にいるような気分がする。中国の田舎に住んでいたときのほうが馴染んでいたような気がする。東京で働く中国人の友人や教え子もいるが、彼らはよく慣れているなと感心し、もしかしたら、華僑の遺伝子のせいなのかもしれないと、再度感心する。

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人生において無駄な時間はない!


ぼくは若い頃、ギャンブルに夢中になり、時間と金を無駄にしたと思っていた。

しかし、そうした時間がなければ今のぼくはいない。

もしもあのころ、有意義に過ごしていたなら、今のぼくはいないだろう。

出世をして、素敵な人生になっていたかもしれないが、反対にもっとくだらない人生になっていたかもしれない。

しかし、それは今のぼくではない。

この人生、過去を否定すれば、今も否定するほかない。

人生において、今の自分を肯定する限り、すべて無駄なことはない。

後悔している時間があれば、未来を築くために今を生きることに努力したい。

人生の各ページはこれからも流れ続ける今という一瞬の自己を築くため、すべて意義があるものだ。

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電車の音!


電車にはいろいろな音がある。

K線に乗ったら、ガタンゴトンガタンゴトン。

T線に乗ったら、ガタガタ、ガタガタ。

T線に乗ったら、ガタガタ、ガタガタ。

しかも、場所によって違う。

一期一会の空気が違うように、音が違う。

その日の天気や気温によって空の景色も違う。

一期一会とはまさにそうだ。

同じ場所同じ電車でも異なる。

ぼくは毎日、同じように母と会話している。

そして、毎日同じような会話をしている。

だが、それも、一日一日、異なるのだ。

だから、母との会話を日々大事にしたい。

それだけではない。

人との出会いの中、日々同じことはない。

その時その時を大事にしたい。

電車の音を聞きながら思った。

この音は場所、時代、天気によって違う。

何気なく乗っている電車の音が違うことに、

人生の大事なエッセンスがあるように思う。

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身体髪膚


タトゥーは好きになれない。

自分自身の体に傷を入れること自体がぼくは好きになれない。

整形で美人になるというのも好きになれない。

ピアスもそうだ。

自分の体の一部に穴を開けることが信じられない。

人々に言いたい。

出生してからの体に穴を開けたりしてはならない。

ぼくには忘れられないことばがある。中国の千字文の中の一文だ。

身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり

このことばがいつまでも心に響いている。

この体は両親に与えられたものだ、敢えて、体に傷をつけないことが孝行のスタートだという。

この体に傷をつけたり、穴を開けたりすることは親不孝の始まりだ。

誰に対しても、自分の体を傷つけないでほしいと願っている。

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愛する人!


愛する君をぼくは今も思っている。

だけど、君はもう遠くにいる。

そんなもんだ。

ぼくは強くてやさしい君を忘れない。

ぼくは今、君を思いながら、これを書いている。

君は今、何をしているのだろうか。

何をしていてもかまわない。

ただ、幸せでいてくれたら、

ぼくは、満足だ。

君の幸せをぼくは祈り続けている。

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