眠れない夜


 このごろ、眠れない夜が続いている。今、午前5時過ぎ、下弦の月が西に傾いている。

 昨日の朝も夜が明けるころ、空が青さを増してくるころ、ようやくうとうととしてきた。いつしか眠ってしまったようだが、9時ごろ目覚め、また、二度寝し、10時ごろ慌てて、布団を出た。急いで支度をして、家を出た。

 仕事は午後からだった。エナジードリンクを飲んで、出勤。夕方まで頑張った。家に帰り着いたのは七時頃、それから、夕飯を作り、母と食事した。

 昨晩もいつもどおり、一時過ぎて、寝ようとしたが、なぜか、布団の中で、横になったまま寝付けない。どうせ眠れないのならと、スマホの小さい画面を見ながら、この記事を記している。

 母は相変わらず、酒を一定量飲んで、酔っている。フラフラしながら、酒を探すが、見つかるはずもない。ぼくが隠してあるのだから。

 今、隣室でいつまでもすすり泣いている。飲みたい酒を隠されたからか。いや、隠したのは久しぶりだ。この泣き声は隠したこととは関係なく毎晩続いている。違う理由があるはずだ。自分の人生を嘆いているのか、毎晩、夜が明けるころまで泣いている。

 小さいころも聞いた泣き声だ。うーうーと唸るような泣き声。時にはがうっうっと声をつまらせるような泣き方をする。あの頃、母は父と姑の間で毎日悲しい思いをしていた。父が亡くなったあと、飲めなかった酒を飲むようになり、タバコも吸うようになった。

 酒とタバコで悲しみを紛らわそうとしていたようだ。その時からの習慣だ。今はタバコをやめたものの、酒だけは少しずつ量を増やしながら毎夜酔っては泣いている。医者からは半分の量にしなさいと言われているが、聞く耳がないようだ。

 ぼくは今、母を悲しませているのだろうか。楽しませていないことだけは確かなようだ。母がこれから生きていく間、ぼくはこの問題にずっと悩まされ続けるのだろうか。そして、同時に、自分自身の不眠症と戦わなくてはならないようだ。

 今、週に3日ほど働いている。明日も昼からの仕事に出るため、10時半には家を出る。体力の限界が来そうだ。何とかしなければならない。

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何のために生きるのか?


何のために生きるのか?

よくはわからないが、

決して、金のために生きるのではない。

決して、食べるために生きるのではない。

決して、名誉や地位のために生きるのではない。

人類反映のために生きるのだろうか。

だが、それだけではない。

幸せになるためだろうか。

では、幸せとは何か。

幸せは金や名誉や地位で得られるだろうか。

ぼくはこのことに否定的だ。

金や名誉や地位だけでは幸せになれない。

では、何のために生きるのだろうか。

もしかしたら、

死というゴールテープをただ切るために走り続けるのかもしれない。

なぜなら、「死」というものがなければ、

何のために生きるのかがまったくわからなくなりそうだからだ。

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人生とゲーム!


 よく、人生をゲームに例える人がいる。だが、人生はゲームではない。ゲームには勝ち負けがあるが、人生には勝ち負けがない。人生に勝ち組も負け組もない。

 金持ちが勝ちで、貧乏人が負けなのではない。出世した者が勝ちで、生涯出世できない者が負けなのではない。

 ゲームには上手な者もいれば、下手な者もいる。人生にも同じように、生きるのが上手な人もいれば、下手な人もいる。

 それでも、人生に勝ち負けはない。ゲームのように再チャレンジしたり、リセットしたりはできない。

 人生は一度きりだ。どれだけ失敗しようが、どんなに歪んでいようが、人生はすべて同等の価値がある。

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武士は食わねど高楊枝!


 安い眼鏡を三つ持っているが、その眼鏡のガラス面はどれも傷だらけ。それに二つはネジが外れたりして使えない。一つはフレームが歪んでいて使いにくい。ここ数日、眼鏡なしで仕事しながら、時々使いにくい眼鏡を使っていた。

 それで、休日の今日、街へ出て、いつも行く眼鏡屋へ行った。いろいろ見て、久しぶりに眼鏡を新調した。持っていた一つの眼鏡を千円で下取りしてもらい、何とか一万円あまりで買うことができた。ついでに壊れた眼鏡も修理してもらった。

 それから、遠くに住んでいるぼくの娘(アラサー)の誕生日が迫っているので、どこかおしゃれな店がないものかと歩いていたら、駅構内で面白い店を見付けた。そこで、プレゼント用の時計を1万円足らずで買った。その後、コンビニでポケットwifiの料金を5千円足らず支払った。

 結局一日で2万5千円ほど使ってしまった。一月に入るお金のほぼ五分の一だ。日ごろ、支出を一生懸命抑えている。たとえば、外で食事しても、絶対にビールを注文しない。ビールを飲みたければ、百円以下の缶ビールをスーパーで買ってうちで飲む。外食は3ヶ月にほぼ一度だ。

 節約しても節約しても暮らしは楽にならない。だけど、心のどこかに「武士は食わねど高楊枝」ということばが生きている。決してけちけちとした暮らしは見せたくない。見えないところで節約し、プレゼントとか、人のために使うような時にはしっかりと金を使う。そんな生活をしたいと思う。

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消費税増税


物価は上がり続け、ぼくの消費意欲は下がり続けている。

ぼくの貯金は減り続けている。消費意欲がなくなっているのは、ぼくだけではないだろう。

それでも、政府は10月から消費税を上げるという。それも国民のためにと言う。

その国民とは誰なのか、おそらく首相のお友達、仲良き人々、ともにゴルフをする人たち。

庶民は悲鳴をあげ続けている。庶民を救う者は現れないのだろうか。

お金持ちや政府首脳のお友達は気づかないだろうが、庶民の限界はもうそろそろだ。

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酔っぱらい!


 連休の間、ぼくはほとんど寝られない。精神的にもかなり疲れる。母に対しては毎日一回は怒っている。ぼくが願うのは母が健康で、長生きすることなのだが、そうはならないのが、現実だ。

 母は毎晩、朝の5時か6時頃まで酒を飲みながら、グダグダやっている。昼起こしても、4時頃まで、二日酔いの状態で、食欲もなく、意識も薄れた状態で、半醒半睡だ。

 昼過ぎに、起きてから、今日は何日?ここはどこ?それに、食欲ゼロなのは当然だ。それをどう認めればいいのか、これがぼくの今の課題だ。

 なんとかしなければ、ぼく自身、壊れてしまう。母の生活を認めるべきなのかもしれない。認知症が進んでも構わない。歩けなくなっても構わないという境地に立つほかないのかもしれない。

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詩人のなり損ない!


 ぼくは子どもの頃から何をやってもだめな男だった。それでも、勉強だけは人並みに努力を続けていた。何もかもだめなぼくが、高校三年生の春、学校で詩を習ってから、ようやく、詩人になりたいという夢を見付けた。

 夏休みになって、ぼくは大学に入るための予備校に通うため、東京に一ヶ月間下宿することになった。夏休みに入って数日後、ぼくは東京の池袋駅を降りてバスに乗った。隣の座席に小柄で少し汚れた服を着た20歳前後の若者がいた。何か不思議な縁を感じた。彼は同じバス停で降りた。そして、ぼくの前を歩いて行き、ぼくが暮らす予定のアパートに入ったのだ。

 ぼくにとって、東京の予備校はまったく理解できないものだった。一日目、予備校の授業には幻滅した。ぼくは劣等生ではなかった。田舎では、それなりに優等生だった。国立大学合格確率も高かった。だが、予備校の先生の授業はまったくといっていいほど理解できなかった。そして、帰宅後、あの奇妙な青年といろいろと話すようになった。

 彼は、21歳、深夜、警備員のアルバイトをしながら、早稲田大学に入るための勉強を続けていた。詩集を出したと言って、ぼくに見せてくれた。素敵な詩集だった。フランスの詩人ランボーのことや日本の詩人のことをいろいろ教えてくれた。それだけではない。悪いことも教わった。ぼくは彼に傾倒した。そんな彼がぼくに言ったことばがある。

 「詩人になりたいって?そのために大学に入るって?冗談じゃない。詩人は勉強してなれるものじゃない。」

 これが今も忘れられないことばなのだ。

 夏休み明けのぼくは最悪だった。成績も国立大学合格確率も一気に下がった。学校の勉強なんかどうでもよくなったのだ。そこに、あの東京で出会った彼の影響があったことは間違いない。だけど、ぼくは彼と会ったことを不運だったとは思っていない。むしろ幸運だったと今も思っている。

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夢現(ゆめうつつ)


 夜中の2時頃、台所のテーブルの上で、酔って、突っ伏している老母を、ぼくは強く叱った。すると、廊下をよろよろと千鳥足で歩いていき、ばたりと倒れた。「布団に入って!」と言うと、這って自分の部屋へ行き、布団に入った。

 その後、戻って、テーブルの上を見ると、ガラスコップには半分飲み残した焼酎が入っていた。また、飲みに起きてくるのではないかと心配だった。明日は仕事もない。このまま朝まで起きて、母を見張るほかないと思った。

 自分の部屋に戻り、パソコンに向かってYouTubeでサッカーの動画を見ながら、時々、台所の様子をうかがっていた。3時半頃、まぶたが重くなり、布団に入った。

 ぼくは母にゼリーの薬を飲ませるために、薬袋を開けようとしたが、手元が狂って、こぼしてしまった。慌てたが、「覆水盆に返らず」だ。だが、待てよ。母の薬にはゼリー状のものはない。これは夢だ。

 取りあえず、目を覚まそうと思って、布団の横においてあるテレビのリモコンを手に取って、電源ボタンを押した。だが、電源が入らない。立ち上がって、デスクの前のパソコンの電源を入れたが、やはり、入らない。ふと気づいた。ぼくはまだ布団の中だ。これは全部夢だ。

 今度こそ目を覚まして、台所へ行き、水を飲もうと思って、蛇口のレバーを上げるが、水が出ない。テーブルの上を見ると、焼酎の入っていたコップは空になっていた。だが、待てよ。これも夢かもしれない。

 どこからどこまでが夢で、どこからどこまでが現実なのか、よくわからなくなってきた。夢も現もすべてが幻のようで、少々不安になってきた。

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日本のタレント


 タレント(Talent)とは才能のある人だけど、日本のテレビには才能がないのに、出続けている、取りあえずタレント業の人たちが何人もいる。

 いや、世間的には認められているタレントなんだから、いくらぼくがどんなに否定しよても、やっぱり、タレントなんだろう。ただ、ぼく自身、こんな連中が出る番組は見ないと決めている。

 彼らが出る番組はほとんど見ないものの、時折目に入るのは仕方ない。特に、番組の間に挟まれるコマーシャルは自然と目に入ってしまう。CMにぼくが見たくない「タレント」が出ると、売り上げが伸びるという話を聞いた事がある。

 タレントの意味が日本では誤解されているようでならない。ちょっと面白いことを言ったり、奇妙な言動をしたりするとすぐにタレントとして認められる。その点が疑問でならない。

 世界の人たちはきっと、こういう事情を笑っているのではないだろうか。日本のタレントはレベルが低い。それに日本人もこんな下劣なもので笑っているのだ。ぼくは今の日本の芸能界のことを日本人として恥ずかしく思っている。

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うるさい!


しつこい、うるさい。

選挙投票前日の選挙カーが同じ名前を連呼している。

聴こえてきたそのうるさく連呼する名前だけは投票しないぞと決める。

テレビCMで何度も繰返される商品名、あまりにしつこい。

これが最後とか30分限りとか言いながら何度も繰返す。

その商品名はチャンと覚えておいて、絶対に買わないぞと決める。

世の中何かが間違っているように思えてならない。

何度も繰返し頭の中にたたき込めばいい。そうすれば、選挙では自然とその人に投票するし、買い物シーンでは自然とその商品を選ぶと勘違いしているようだ。

昔からうるさくてしつこい奴は嫌われるのだ。実際、そんな奴は嫌われてきたはずだ。

ぼくは決めている。

しつこいコマーシャルの商品は絶対に買わないと頭にインプットされている。

しつこく名前を連呼する奴はろくな奴じゃないから投票しないと決めている。

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