願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ


今、桜満開だ。今週末には各地で桜まつりが開かれる。今週末土曜日は旧暦2月16日、満月だ。旧暦二月は如月(きさらぎ)、満月は望月(もちづき)。如月の望月といえば、西行法師の歌を思い出す。

「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

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西行法師は俗名佐藤義清(さとうのりきよ)。元永元年(1118年) – 文治6年2月16日(1190年3月31日)まで生存した武士、僧侶、歌人である。もと北面の武士であったが、25歳の時、友人の死に接して、無常を感じ出家。その後、全国を渡り歩き、数多くの歌を残した。その歌は『山家集(さんかしゅう)』や『新古今和歌集』に残されている。また、説話集に『西行物語』がある。

上記の歌はいつ詠まれたかは定かではないが、彼は建久九年(1990年)如月の満月のころ、満開の桜の花の下で歌のごとく亡くなった。以下に示すのは『西行物語』の中の西行が一生を回顧する場面と死ぬ場面である。

『西行物語』《西行一生の回顧》

静かに昔を思へば、生年廿五の歳、仙洞の北面を出でて、妻子珍宝をふりすてて、仏前に向かひて髻を切りつるに、火宅を出でて深山の奥の庵を尋ねて、心を八功徳水にすまし、思ひを九品の浄刹にかけき。後には諸国を頭陀し山林斗藪の行を立て、平等一子の思ひに住して、衆生の機に従ひて、教化を与へき。常に慈悲の袂の上には、歓喜の涙を拭ひ、忍辱の衣の裏には、無価の真実の玉を包みき。かくて五十余年を馳せ過ぐし、「若人、一日一夜を経るに、八億四千万の思ひあり。しかれども、懺悔六根浄のためには、三十一字の言の葉を口ずさむ。これ悪心をやめて佛道を成ずる媒なり」と観じて、東山のほとり双林寺のかたはらに、庵を結びて、感念の窓の前には、三明の月の光りを友とし、称名の床のほとりには、聖衆の御迎へを待ちて、あかしくらしけり。

《西行の死》

御堂の右に桜を植ゑられたりけるに、おなじくは此花ざかり、釈迦入涅槃の日二月十五日の朝、往生を思ひてかくなん、

ねがはくは花のもとにて春死なん
そのきさらぎのもち月のころ

すでに此歌のごとく建久九年二月十五日、正念ただしくして、西方にむかひ
て、若人散乱心、乃至以一花、供養於画像、漸見無数佛、於此命終即 往安
楽世界、阿弥陀佛、大菩薩、衆囲御繞住処ととなへて、

ほとけには櫻の花を奉つれ
我が後の世を人とぶらはば

とながめて、千返念佛やむことなく、空には伎楽の音ほのかに、異香遠く薫じ、紫雲はるかにたなびきて、三尊来迎のよそほひ、聖衆歓喜の儀式、万民耳目を驚かし、往生の素懐を遂げにけり。

※説話集では史実と違う箇所がある。建久九年といえば、1198年である。実際は文治6年(1190年)に亡くなったとされている。

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