松下幸之助の「道」


今、東京都知事の政治資金の不正使用が取りざたされています。実は私は彼と同郷なので、ちょっと恥ずかしい気分です。同時に、世界一貧しい大統領と言われたムヒカさんを思い出し、日本ではなぜこんなことがよくあるのだろうかと疑問にも思います。公私混同もはなはだしい行動ですが、考えれば、わたしはそんな人をたくさん見てきたように思います。しかも彼らはそれを恥ずかしいと思っていないのです。

若いとき、わたしは、会費で成り立つある会の事務局員をしていました。一年に一回の会議があって、そのあと、事務局で食事しましたが、食事代を払うとき、会長が「みんな気にしないで!わたしが払うから。」と言われました。事務局員はみな「ごちそうさまです!」とお礼を言いました。ところが、よく見ると、金を払った後、なんと会の名前で領収書をもらっていたのです。つまり、何も知らない会費を払っている会員たちにごちそうしてもらったのです。何かおかしいと思ったが、何も言えませんでした。その後もこれと似たようなことがたくさんありました。

都知事の場合は、都民の金を家族のために、また、自己の趣味のために使ったのだ。大きな失敗である。こころから反省すべきなのだが、わたしが今まで見てきた人たち同様、悪いこととは思っていないのだろう。波をやり過ごせば、済むことと思っているのかもしれない。あやまちを素直に認めてほしい。潔く退いてほしい。そんなことを思っていたとき、松下幸之助の『道をひらく』にある「自分の非」という短い文章を読みました。

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人間は神様ではないのだから、一点非のうちどころのない振舞などとうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持っているということである。

昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁することなく、非を非として認め、素直にわが身の出処進退をはかったからで、ここに、修業のできた一人前の人間としての立派さが、うかがえるのである。

むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りないというのか、躾ができていないというのか、素直に自分の非を認めないどころか、逆に何かと抗弁をしたがる。そして出処進退を誤り、身のおきどころを失う。とどのつまりが自暴自棄となって、自分も傷つき他人も傷つけることになる。これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。

自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる—この心がまえを、つねにひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。

《松下幸之助『道をひらく』PHP研究所》

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