禅寺丸之記!


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川崎市麻生区にある星宿山王禅寺!真言宗豊山派に属する寺。本堂に上る階段の手前に地蔵尊がある。母はここでもお賽銭をあげてお祈りをする。

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階段を上り、本堂を望む。本堂手前右側にあるのが禅寺丸柿の原木

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禅寺丸柿の原木!

 

 

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「禅寺丸之記」を全文、現代仮名遣いで書き起こしてみた。以下の通り。

「禅寺丸の記」 そもそも当山は星宿山蓮華蔵院王禅寺と称し、真言宗豊山派に属す。延喜21(922)年、高野山三世無空上人の開山にして関東の高野山と称せられ、東国鎮護の勅願寺となる。然るに元弘3(1333)年新田義貞鎌倉進攻の戦乱により、一山ことごとく烏有に帰す。かくて、応安3(1370)年、久良岐郡金沢称名寺塔頭延命院住僧、等海上人、勅命により再興せんとして、資材探索中、寺領の山中に於いて、赤く熟せる柿の果実を発見。その甘味豊潤にして他に例を見ず。よって寺庭に移植し、さらに近在の人々に栽植を勧め、王禅寺丸と命名せり。下って江戸幕府創立後は市場に多く出荷され、競売の砌(みぎり)、王を略して禅寺丸(ぜんじまる)と称するに至ったのは元禄時代の事と伝えられる。所によっては丸柿あるいは黒熟ともいい、隔年結果(実を結ぶこと)の習性を持っている。明治36年求めに応じ、広島、岐阜、静岡、福島の各県に苗木を送ったが、福島では結果せるも、渋柿に変わったと報告されている。明治42年秋、柿生村村会議員一同は都築郡郡長を通じ、王禅寺2000番地、森七郎氏の栽培品二百個を陛下に献上された。
尚、当寺は柿寺とも言われ、庭前の原木は今なお多くの着果を見せている。

延喜:平安前期、醍醐天皇の時の年号。901年7月15日~923年閏4月11日。
元弘:鎌倉末期、後醍醐天皇の時の年号。1331年8月9日~1334年1月29日。
応安:南北朝時代、北朝の後光厳天皇・後円融天皇の時の年号。1368年2月18日~1375年2月27日。
烏有:全くない。何も存在しないこと。
結果:植物が実を結ぶこと。結実。
砌(みぎり):時節。折。ころ。「幼少の砌」

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岑清光という人、詳しくは知らないが、歌人らしい。歌は次のように記してある。

夜をわたる 月は光をもたね共 照らされて照す 満ちつ欠けつつ 岑清光

歌の意味はこうだ。

「夜の間、空を移動していく月は自ら光を持っているわけではないけれど、太陽に照らされて地上を照らす、満ちたり欠けたりしながら」

 

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北原白秋は福岡の詩人、歌は以下のとおり。

「柿生ふる 柿生の里名のみかは 禅寺丸柿 山柿の赤きを見れば まつふさに秋は闌けたり」

正月二日、ここへ来てみたが、初詣の客はわずか。また、秋でもないので、柿の実はなっていない。しかし、いつ来ても何か歴史を感じさせる雰囲気のお寺だ。

 

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これは禅寺丸柿の登録記念の碑

 

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