わたしはただ一つの偶像を崇拝しない。
尊敬すべきものは多く存在する。
ただ畏敬すべきは自然だ。
一人の人間を神のように崇め奉ることに恐怖を感じる。
かつての日本軍は天皇を神として崇め、
戦争を行い、許多の人々を犠牲にした。
その反省は多くの日本人の心にある。
唯一人の人間をあがめ奉ることは危険だ。
人には長所もあれば短所もある。
崇め奉られる人にも長所と短所がある。
すべての人が長所と短所を持っている。
数人の人はその長所故に崇め奉られる。
わたしは先人から多くのことを学んだ。
だがその誰をも偶像化はしない。
偶像化は平和を脅かす。
自然を畏れ敬うこともせず、
一人の人を偶像化するのは恐怖だ。
自然を畏敬すべきだ。
さもなければ、自然は人類を破滅させるだろう。
中国、韓国、北朝鮮を除いた多くの(東南)アジアの国々が親日であるどころか、当時それらの国々を侵略していたイギリス、オランダ、アメリカなどの西洋の国々を追い払い、東南アジアの国々が独立するきっかけを作った過去を考えると、「(日本が)多くの国を侵略し…」という表現は本当に適切でしょうか…
今回は表現にいちゃもんを付けてしまい申し訳ありません。
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これは、意見の分かれるところだと思います。解放した国もあり、侵略した国もあったと思います。満州事変や満州国などは豊臣秀吉のかなわかなった夢を追ったような気がします。
日本の軍部には、欧米の後を追って、アジアの支配を狙っていた人も、また、真にアジアを開放を目的にした人もいたと思います。その結果、一部において解放し、一部において侵略したのではないかと思っています。自分の考えでは、どちらも意見も正しいと思います。
申し訳ありません。こういう話で議論をすると、とりとめのない部分があります。実証がかなり難しいものだと思います。ただ、わたしは論争を呼ぼうとは思いません。不適切な表現であったと反省しています。ご助言ありがとうございます。これから表現を訂正しようと思います。
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