多くの人がお金を銀行に蓄えているが、もし、記憶も同じように蓄えられたら最高だと思う。
年を取ると、いろいろなことを忘れてしまう。記憶を蓄えるところがあったらと思う。それを必要に応じて取り出して、使う。もちろん、コンピューターを使えば可能だ。
しかも、クラウドを使えば、どこでも引き下ろせる。これが未来の理想だと思う。記憶バンク!今、記憶がばらばらになっている母のために、記憶を整理してまとめて置く場所がほしい。
今、母の頭の中では九州で生活していたことと関東で生活していたことがごちゃごちゃになっている。いろいろな地名が記憶にあってそれがどこにあるのかわからない。
パリやロンドン、それにローマに行ったこともあるが、それがどこにあるのか、誰と行ったのかも曖昧になっている。関東も九州も北海道もどこなのかわからない。京都がどこにあるのかもわからない。どちらが北か南かもわからないようだ。
今、住んでいる場所もあいまいになっている。ぼくが中学生のころ、祖母は自分の住んでいる場所も昔住んでいた場所もごちゃごちゃになっていて、自分のふるさとと今住んでいる場所がすぐ近くにあるように思っていた。今、母がその当時の祖母のようになりつつある。
だけど、これが自然だ。自然の成り行きに任せる以外にない。抗いがたい自然の摂理だ。人間は自然の前では全く無力だ。消えつつある記憶をを失うことを恐れる必要はない。忘れることも人間の知恵なのだと思う。
だが、その記憶をもし貯金するように蓄える所があったらと思う。それは文章化することが一番いいのだろうが、母にはその力がない。せめて、ぼくがここで記録し、どんどん蓄えて行けばいいのだろうか。
もっといいのは、文章ではなくて、映像としてクラウドのような場所に残したい。それも整理しておいて、好きなときに引き出して、思い出すことができる。知人と共有すれば、許可された者には見られる。記憶バンクようなものを誰もが利用する時代がすでに近づいている。