小学生の頃、扁桃腺を患って入院した時、とても楽しかった。
同じ入院患者の女の子とエレベーターに乗って遊んだ。
ある日、エレベーターが途中階で停まり、ぼくたちは泣き出した。
何とか救われたものの、ぼくたちは叱られた。
大人になってから、何度かけがをして入院した。
そのたびに、ぼくは病院に親近感を感じた。
安らぎさえ感じた。
だが、最近になって母に付き添って病院に行くと、
自分の病気でもないのに不安を感じる。
テレビを見ていて、ある芸能人がふいに酷く痩せた姿で画面に登場する。
その後、彼は癌で死去する。
ぼくの不安の正体はわかった。
それは病院の待合所にいる人たちに感じる終末の匂いだ。
病院には死に近い人たちの匂いだ。
それは人には誰でも当然訪れる終焉の匂いなのだ。
草が花が終末を迎える時の匂いと同じだ。
人は自然の一部なのだから、
自然が枯れる時、死滅する時に発する匂いは何においても同じだ。
それを悲しいと言っても仕方ない。当然の匂いなのだ。
だが、ただそれが不安で仕方ないだけなのだ。