花見!


三月は仕事がなくて暇だ。それで、暇に任せて、母を連れて、名所の桜を見に行っている。桜が開花したのが三月下旬に入ったころ、満開前後のの美しい時期は三月下旬から四月上旬までのほぼ一週間ぐらいだ。

ぼくがよく行くのは、東京だと、飛鳥山、上野、千鳥ヶ淵、目黑川だ。神奈川県なら、麻生川、山下公園、小田原城だ。それらの土地を三月から四月にかけて、例年のように訪ねている。

だが、最近になって、桜の名所へ出かけるのも少しおっくうになってきている。それはあまりに人が多いからだ。人の多いところへ出かけると、ひどく疲れる。結局、だんだんエネルギッシュに回れなくなってきている。

そんな折り、近頃気づいたことがある。それは私の住む団地の至るところに桜が咲いていることだ。早咲きもあれば、ソメイヨシノも、しだれ桜もある。団地の中を散歩していれば、毎日のように桜が見られる。

近くの公園へ行けば、玉縄ザクラも河津桜もソメイヨシノも見られる。もしかしたら、花見は遠くへ行かなくてもいいのではないかと思えるようになった。桜は日本人の潔い魂のように言われるが、今や、日本全国どこへ行っても見られるものになったように思う。

遠い名所より近くの美しさを求めたい気持ちになる。これは一種の真理を表しているような気がする。遠くにいる人を愛するのもいいが、近くにいる人を大事にして、そこに人生の美を見いだせるのではないか。

そんな気持ちで家の近くを散策していると、あちらこちらに美しいものを発見できる。それこそ、生き方にも直結するような気分になって、ぼくは遠くにいる人、あるいは何かのを求める気持ちが減って来て、身近なものを愛する気持ちだけになっていく。

人生の断捨離だ。多くは求めない。ただ、身近なもので十分だ。毎日のように散策する野山の中に美しいものはある。毎日話す人の中に大事な人生の真理がある。そう思うと、どこかへ行きたい、何々を見たいと言った欲求はほとんど消えていく。

そんなふうに思いながら、自宅の近くの美しい花を眺めている。そして、日々出会う身近な人やものを大事にする。これが人生だ。遠くまで出かけて、多くの人が褒め称える桜を見に行く必要はない。そう考えていると平穏を得られるように思う。

<去年の3月末に撮影した桜>

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
カテゴリー: エッセイ, 日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中