このところ、真夏日が続いている。夜は熱帯夜で寝苦しい。
だけど、「心頭を滅却すれば火も亦涼し」という。無念無想の境地に至れば、火も熱く感じなくなる。どんな苦難にあっても、それを超越した境地に至れば、苦しいとは感じなくなる。
これはこの暑さについても言える。「心頭を滅却すれば陽もまた涼し」。そう思えば、感覚の力に何らかのスイッチがあって、それをオフに切り替えれば、この強い日差しもそれほど苦にならなくなる。
学生の時、猛烈な暑さの中でよくスポーツをしていたことを思い出す。日差しの強い中で10㎞マラソンをしたり、汗だくになりながらグランドを走り回っていた。部屋にいる時は、扇風機で涼を取っていた。それに学校もエアコンはなく、汗をかきながら勉強していた。当時は汗をかいても、それを普通だと思っていたし、ほとんど苦痛に感じていなかった。
それがいつのころからか、暑さを少し苦痛に感じるようになった。それが普通なのかもしれない。だけど、何かが違う。今はどこにでもエアコンがあり、汗をかくことが少なくなった。家にいる時は、今もエアコンを使わず扇風機を使っているが、バスや電車の中、それに職場だけでなく、どこへ行っても涼しい。時には寒いと感じる時もある。汗をかくのは散歩している時だけだ。
なぜだろうか。以前と比べて地球全体が暑くなったのだろうか。それとも人間の感性が変化したのだろうか。ただ、何となく思っていることは、汗をかかなくなったことが影響しているのではないかということだ。たまに、汗をかくと、これを苦痛に感じるということだろうか。少し暑いだけで、ひどく暑く感じるような感性になってしまったのだろうか。
はっきり言えないが、子どもの頃からエアコンのある世界で育った人たちにとって、暑さや寒さに対して、ひどく敏感になっているのではないだろうか。エアコンのない世界で育った人の中には、寒さに強い人や暑さに強い人がいる。また、どちらにもあまり感じない人がいる。だが、エアコンのある快適な世界で育った人はどうだろうか。寒さにも暑さにも弱い、つまり、その人にとって快適な気温は狭い範囲のものであり、それ以下は寒い、それ以上は暑いとなるのではないか。そんな気がしてならない。
そう、もしかしたら、気持ちを切り替えて、かつての時代を思い出し、暑さ寒さを感じる敏感な感性を少し鈍感なものになるようにできれば、心頭を滅却すれば、太陽の陽もまた涼しく感じられるかもしれない。いや、少し堪えられるようになるのではないかと思う。少なくとも、ぼく自身はスイッチを切り替えることで、つまり、昔の感性を取り戻すことで、楽に我慢できそうだ。夏は暑くて当たり前じゃないかと切り替えるのだ。