日本的霊性!


 鈴木大拙の本『日本的霊性』にこんな一節がある。

「感性的または惰性的直覚が霊的直覚に入る途は、否定のほかにないのである。花が紅(くれない)でなく、美しいが美しいでないということが一遍ないと、花は本当に紅でない、美しいが本当に美しいでない。」

 これを見て、最初に思ったことは、「ぼくは生きているということ」さえも一度否定してかかる必要があるということだった。

 もっと言えば、人間の道徳そのものも一度否定してみないと、果たして本当に正しいのかどうかわからないということだ。

 多くの作家は実はこれを試みているのではないか。殺人を悪と決めつける惰性的直覚を否定したところから、確立しなおすというようなことだ。世間でこれが美人だと言われる人も果たして本当に美人なのかと疑い、一度は否定してみることが必要なのではないか。

 学問にしてもしかりだ。絶対に必要なものなのかと考えてみる必要がある。そこから再構築して、違うものになるのも、また、同じ結果になるのもいい。ともかく、なんでも否定してみることからスタートしなければ、本当の真理は得られないように思えてきた。

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
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