学べる喜び!


 日本語の「~ものだ(ものです)」にはいろいろな意味がある。中でも、当然の意味を表す「ものだ」は面白い。人は精いっぱい生きるものだ。誰でも欲があるものだ。そこには当然そうなのだという気持ちがある。

 かつてのニュースであったことだが、バスの中で赤ちゃんが泣いている。誰かが、「おい、泣き止ませろ!」と言った時、運転手が「赤ちゃんは泣くものです。」と言ったという。この話は痛快だ。赤ちゃんが泣くのは当然だというのだ。

 それと同じくらいに当然なことに「学生は勉強するものだ」がある。だが、高校生、否、大学生もあまり勉強しない。学生とは「学ぶ者」という意味だと思うのだが、勉強しないのが今の日本の風潮だ。

 世界では、学びたくても学べない子供達がいる。中村哲氏はアフガニスタンで学校を作ったという。学校で勉強できる子供達は大喜びだ。中国でも、学びたいのに学べない子供達は多いはずだ。

 裕福になると、その原点を忘れてしまうようだ。現代の高校生も大学生も、そして、裕福な留学生は学ぶことの喜びを忘れている。ぼくは今原点に戻って学びたいと思っている。ただ、金がないから多くは学べない。

 「学ぶ」とは生活必需品を買うのと同じで、必要不可欠なことだ。それがなければ、文化的な生活ができないのだ。若者たちには学べることの喜びを感じてほしい。「学ぶ」ということの意味をもう一度見直してほしいと願っている。

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
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