留学生たちに、全然ということばを教えた。「全然ということばの使い方は、『(打消しの言葉や否定的な表現を用いて)まったく。まるで。少しも。まるっきり。』となっていると教えたのだ。「ぜんぜん痛くない」「ぜんぜんわからない」というふうに使う。
そう教えたのだが、今日、自宅に帰ってから、テレビを見ていたら、「ラグビーについてどう思いますか?」とインタビューを受けた年配の女性が、「これからもぜんぜん応援したいです」と答えた。それを聞いて思った。言語というのはやっぱり生きているんだなと思わされた。
今、「全然(ぜんぜん)」は否定を伴う語として、「ぜんぜん~ない」というのが正しいとされているが、実は元々中国からもらったことばであり、「全然」は肯定文にも使われていたそうだ。詳しく調べてはいないが、肯定文に使う表現が、今蘇っているのだと考えることができる。
ぼくらは全然は否定文に使われると教わった。それが肯定文でも使われることに違和感を感じていたが、どうも違和感を覚えるほうがおかしいということになる。日本に入ってきた当初、肯定文にも使われていたのだ。
かつての「全然」は「全然支配されている」とか「全然同感だ」という使い方があった。戦後の日本語では、それが完全に否定文にしか使われないとされた。それが現代では肯定文に使われている。それに対して、ぼくは違和感を感じているのだが、そちらのほうがおかしいということになる。
ことばは時代とともに変遷する。こんな当たり前のことに今、再確認させられた。習った言語の体系をそのまま信じて、それ以外を認めないというのは一種の病気のようなものだと、今日、改めて思った。