美意識!


若いころ、美術館が好きだった。いろいろな美術館に通った。だが、当時、見た作品の中に驚いたものがあった。絵画作品は縦2メートル、横3メートルほどのものだった。だが、作品の色と言えば、ただ黒ばかりだった。

この絵に何か意味があるのだろうかと、眺めた。しばらく眺めたが、やっぱり意味がわからなかった。この絵がすごい価値があるというのだが、ぼくにはよくわからない。値がいくらつけられようと、欲しいとは思わない。

20歳代の時、いちど、真っ暗闇を体験したことがある。仕事帰り、気まぐれに田舎のバス停で降りて、そこから自分の家に向かった。途中、街灯のないところがいくつかあって、そこは真の闇だった。何とか街頭のあるところまでたどりついた時にはほっとした。

さて、美術館の真っ黒な絵が意味するのはこういうような空間だったのだろうかと思った。しかし、この絵に価値を与えられても、やはり謎だ。世界の美術品にぼくは価値を感じなくても、評論家が価値を与える。ぼく個人の感覚とは全く関係ないところで価値が与えられる。

そう思った時、世界のあらゆるものに与えられる価値は世界の誰かの価値観なのだ。食べ物にしてもそうだ。誰かが価値を与え、それが流布し、みなが同感する。だけど、それはぼくの価値観とは異なるものであることが多い。

「おいしい!」とか「うまい!」とかいうことばがひどく相対的なものだと思われる。エビ、イカ、カニをぼくは美味しいと思ったことがない。人気のラーメン屋に一度入ったことがあるが、値段に値するほどのおいしさを感じたことがない。ただ、世界はリーダーの誰かによってリードされる。

価値とはひどく相対的なものだ。時間と空間に左右されるものだ。美人にしても同様だ。相対的な美人なのだ。時空間が変われば、美意識も変わる。近頃グローバル化が進み、世界が共通の美意識を持つようになった。だが、ぼく個人の美意識は変わらない。価値観も変わらない。

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
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