群れることの恐怖と隠遁


人間は社会的動物である。他の動物にも群れをなして、社会、コミュニティを築く動物はいる。だが、人間ほど、精巧なコミュニティを築ける動物はいない。

人間の持つこの社会性は素晴らしい未来を構築するものだ。だか、ここに人間の幸福が比例しているかどうかは少々怪しい。

群れにはルールが伴う。社会が複雑になればなるほど、ルールは複雑化する。複雑化するのはルールだけではない。人間関係の煩雑さもさらに増してくる。

社会の在り方における複雑さが適度なうちはいいが、適度ではなくなった時、精神的な煩雑さは人の幸福度は反比例するのではないか。

反比例し始めた時から、増えてくるのが自殺者ではないだろうか。もし、そうなら、社会から、ある程度、距離をおいた方が精神的にいいに違いない。

群れることの恐怖感は人類史上、多くの人が感じてきたことではないか、彼らは隠遁という逃亡手段によって、精神の安定を求めてきたのだと思う。

実は今、コロナ禍の中、ぼくは隠遁を目指している。それこそ、この世の生きづらさを回避できる唯一の方法のように思っている。

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
カテゴリー: エッセイ, 日記 タグ: , パーマリンク

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