「所変われば品変わる(ところかわればしなかわる)」という日本のことわざがあるが、場所だけではなく、時代が変われば、いろいろなものが変わってしまうように思う。例えば、美的感覚や食べ物もそうだ。同じ国内でさえも、同じ食べ物が時代と場所が変わったら作り方も味も変わってしまう。
だが、正しさの意味内容、あるいは、正義といったことの概念も、場所や時代によって変わるものだろうか。例えば、「正義」ということばの概念だが、その概念は、美的感覚や食べ物の味と同じように、場所や時代が変われば、変わってしまうのだろうか。
具体的に言えば、国内に存在する異なる民族や異なる宗教、思想の持ち主たちへの虐待ということが、歴史上は間違いなくあっただろう。わたしは歴史家ではないから、詳しくは言えないが、世界中で理不尽なことが行われてきたと思う。そして、他国が異を唱えることは難しかったことだろう。
だが、20世紀に入ると、状況は違ってきた。世界が徐々につながり、例えば、異民族や異なる宗教や思想の持ち主への虐待は非難されて当然のこととなる。歴史上ではそれぞれの国家において、正義だったのかもしれないし、国民の支持もあったかもしれないが、グローバル化された現代では、到底正義と言えるものではなく、世界中から非難されて当然だ。
21世紀の今、世界は繋がっている。他国のことであっても、地球上の出来事として、世界中が反応をする。どこかの国で災害があれば、国家の壁を越えて支援しあう。反対に、異民族に対する虐待など、正義に反する国家の行為があれば、世界中から非難される。すべて同じ地球上の出来事なのだ。他国のことだと干渉をためらうべきではない。
そうですね、先の戦争の頃までは、約500年間もの長い間、西洋人がひどいことをしていました。
でも、今それをしている国があるのは驚きです。
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ミャンマー、中国はひどいものです。平気で残虐なことをしているようです。
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