快不快


人が広い庭のある家で、高価な家具に囲まれて暮らしているのを見ると、自分もこんな暮らしをしたいと思うのは自然なことだ。

また、テレビコマーシャルなどで、こんな道具があれば、人生はおもしろい、こんな食べ物や飲み物があれば、楽しくなると宣伝している。

だが、そうした快楽を求めることには中毒性がある。コマーシャルはそれを知っている。すべて求め過ぎると、不幸を呼び寄せることになりかねない。

快楽とか、愉快とか、快適というものは確かにいいものだが、そればかり求めすぎて、その反対にある不快を完全に排除しようとすると、無理があると思うのだ。

不快とは、生きている限り、つきまとうものであり、完全に取り除けないものだ。人生には不快と共に生きる覚悟が必要なのではないか。

考えてみれば、快と不快はコインの裏表ではないか。好天と悪天、幸運と不運、昼と夜のように、両方が存在して成り立つものではないか。

たとえば、持病や障害、家庭や人間関係の問題等々、生きる上で、つきまとう不快なこともそれなりに受け入れる覚悟というものが必要かもしれない。

もちろん解決できれば、それに越したことはないが、死ぬまでに、そうした不快なことはなくならないということを悟る必要があるということだ。

wildsum について

I am a Japanese language teacher. I like to soccer and cooking,walking.
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快不快 への5件のフィードバック

  1. CHIRICO より:

    こんにちは。
    幸せを感じるには、足るを知ることが肝要かと。
    そこを見誤ると、かの老議員のように物欲の餓鬼道に堕ちてしまいますので。彼を見ていると哀れにさえ思えます。

    いいね: 2人

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