
もしも、心の平穏を求めるならば、勝ち負けの場を去るべきだ。人生において一番になっても、心の平穏は訪れないし、敗れた場合はなおさらだ。
もしも、心の平穏を求めるなら、過度の期待をしないことだ。期待通りになったら、期待はさらに膨らみ、際限がないからだ。期待はずれの場合は言うまでもなく失望するだけだ。
もしも、心の平穏を求めるなら、求めすぎないようにすることだ。必要以上のものが手に入れば、必ずもっとほしくなり、その気持ちには際限がないからだ。常に、必要最低限のものだけを持つことが大切だ。
もしも、心の平穏を求めるなら、人の欠点ばかり見ないことだ。嫌な気分になるだけだからだ。ただし、明白な悪事を働くものがいれば、世の中のためにも、過ちを指摘したほうがいい。
もしも、心の平穏を求めるなら、無駄な争いは避けるべきだ。笑って避けて通るのもいい。要らぬ心の禍を溜め込むのは体にもよくないからだ。過ちでない限り、人を認めたほうがいい。
もしも、心の平穏を求めるなら、不要な心配はしないほうがいい。未来はなるようになるだけ。心配のしすぎたら、心にも体にもよくない。ただし、必要な心配はしなければならない。要不要の見極めが大切だ。
もしも、心の平穏を求めるなら、人がいい生活をしているのを見ても、羨ましく思わないことだ。羨む心は無駄な波を起こし、自分を蔑むことになる。人は人だ。
他人の話を全く聞いてないし理解しない、さらに他人の話をほとんど理解出来ない人々に対してどの様に対処すべきでしょうか?悩む🐥
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その人が、自分にとってどんな人かによります。
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そうですね。私の元夫は他人の話を理解出来ないタイプの男性でした。しかし今現在、私の友人である彼は、様々な辛苦を乗り越えて忍耐強さを身に付けた為、他人の話を辛抱強く理解しようとするまともな男性に成長しました。彼は私が最も信頼する唯一の友人です。しかし、彼以外の、”よく分からない変すぎる人々”については全く対処の仕様が無い🐥これが現実なのでしょう。
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わたしの元妻も素敵な人です。今では友人です。私の話を聞かない人と言えば、母です。認知症だから、何度聞いても忘れられます。または最初から聞いていません。でも粘り強く、冗談を交えながら繰り返し言い続けます。また、今は仕事をしていませんが、もと学校で教師をしていたときの生徒たちです。ここでも同じで、大切に思いながら、粘り強く言い続けました。ところで、こちらの言うことを聞かない人側から見れば、こちらを大切に思っていないからだと思います。そう思われるように、心のこもった思いやりのある言動をすることも必要でしょうね。
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こちらから思いやりを示せば逆に舐められて馬鹿にされたり、上から目線で意味不明の説教をされたりする事もあります。どうにもならない人々というのは割と多いのかも。
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わたしは真心というものが必ず通じる信じています。真心が通じない人は、恐らく、どこか歪んでしまってどうにもならない哀れな人間です。
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