生の苦悩


 人が生きる上で最も大きな苦悩は、「自分は生きていて、いいのだろうか?」という疑問、言い換えれば、自己否定の感情だろう。自分の生を否定する気持ちは誰でも一度や二度は持ったことがあるだろうと思う。

 ぼく自身はというと、15歳から20歳を過ぎるあたりまで、「自分は生きている価値のない人間だ」と思っていた。というのも兄や弟が優秀なのに、ぼく一人が成績で劣っていたからだ。父親の視線も冷たいものだった。学校の先生からも「おまえは兄貴と違ってどうしてだめなんだ」と言われ続けて育った。

 兄にも弟に対して何をしても勝てない。劣等感の塊のような少年期を過ごした。恋愛にも失敗続きで、なにもかもに絶望もしていた。生きていれば、かならず、辛いこととか人を不幸せにするしかないのだと思っていた。

 もちろん、そんなことを一度も考えたことがないと言う人もいるだろう。だが、自己否定の青春時代を迎えた人はかなり多いだろうと思っている。また、年を取ってから、自己否定の時を迎えた人もいるだろう。そうしたことが、自殺者の減らない原因の一つだろう。

 ぼくは何度も自殺を試みた。二十歳のころ、大学の町で、自殺願望の友人と自殺をしようとした。ぼくは友人を、友人はぼくをジャンピングボードにして、さあ、明日には二人で自殺しようと思っていた。

 その夜、ぼくは自殺のことは何も言わず、母に電話した。ところが、母はぼくの心を察知したようで、翌朝、ぼくの下宿に来て、無理矢理ぼくを故郷に連れ帰った。そして、友人は大学の町で、一人縊死した。今でもあの時のことが忘れられない。

 今、年老いた母は、毎日のように酔っ払って、しばしば、「わたしはだめな母親、死んだほうがいい」「死にたい!死にたい!」と繰り返す。自己否定の虜になてしまっている。ぼくはつい、恨み言を言ってしまう。「ぼくを死なせてくれなかったのに、今度は自分が死ぬなんてだめだよ!」

 だが、この恨み言も間違っている。母が自己否定するその心を汲んであげなければならない。母の哀しい心を理解してあげなければならない。ぼくは今、ようやく母を理解する一歩を歩み始めたのかも知れない。そんな気持ちで母を見ている。

 人生は自己否定も含めて、人生なんだ。誰もみな自己肯定感の中で生きているひとばかりではない。否定も肯定もすべて人生なんだ。そこに必要なのは達観だ。人生を諦めることなんだと今は思っている。

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Summer blues-夏の憂鬱


 2020年、冬は急ぎ足で遠ざかり、

春は、知らない間に過ぎて、

夏は大股でゆっくりと近づいてきた。

一日は、だらだらと時を刻んでいる。

行き場のない憂鬱は家の中をうろうろとして、

部屋を出たり入ったりしているかと思えば、

これといってなすべきこともない一日の終わり、

過去のアルバムの中から、

よみがえる、

遠い思い出の中、

バラのワインレッドや白や赤や黄色の

迷路をさまよっている。

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価値の相対性


鍵盤に向かう。

初めてのピアノだが、ぼくは慣れている。

そう、暗い旋律を奏でる。

世界は真っ暗なんだから、これでいいんだ。

スーパーに行けば、行列ができている。

レジには笑顔の見えない人たちがいる。

頭の中でガンガンと杭を打つ音がする。

世界は明らかに変化している。

ピアノの鍵盤をガンガンと叩くが、

それでいいんだ。

だって、規律なんてどこにもないんだ。

規律とかはこれから作られるんだ。

世界標準はすべて失われたんだ。

価値は時代や場所によって、常に変化

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現実は夢とほど遠い


ほぼ三ヶ月、行きたい所に行けない生活。

こんな時だからだろうか、

夢の中で大好きな人たちと会う。

だけど、現実は会えない。

鳥たちが自由に飛ぶ世界を思う。

この人間世界は何て不自由な世界なんだ。

会いたい人に会えない苦痛。

空は青空だ。

澄みきった青空だ。

だけど、ぼくの心は曇り空だ。

どんよりとしている。

灰色の雲が町を押さえつけている。

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許しと願い!


私利私欲のために、多くの人を不幸におとしめる人、自己中心的な考えで、多くの人を哀しませる人、自分の家族や友人だけの幸せしか考えていない人たちがいる。

ぼくはそういう人たち以外の人々をすべて許したいと思う。

親や妻や夫や子どもを愛する人、小さな幸せだけを求めている人、世界のために精いっぱい努力している人、自分のことより、他の人のことを大事にする人たちがいる。

ぼくはそういう人たちの幸せをただただ願っている。

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幸せとは!


 豊富な財産や権力を持っている人たちが幸せだろうか。多くの場合、彼らは不幸であることが多い。

 幸せとは、そうした財産や権力とは縁のないものだ。

 世界でもっとも幸せな人々はどうだろうか身の回りにくっついた属性を考えない人々だ。

 大事なことは財産や権力とはまったく関係のないものだ。

 幸せは人類の根源にある愛だ。

 そこに、権力や地位が入り込む余地はない、仮に入りめば、愛が失われる。愛に権力や地位が入りこめば、争いごとが生じるだけだ。

 さあ、人類史上最大の危機を迎えた今、根源に戻って本来の愛を取り戻すべきだ。

 無欲の愛、無私の愛、私利私欲を忘れた欲求。そこにこそ、人間本来の幸せがある。

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人間とは!


ウィルスとは、人体を損ねるものであることは間違いない。

だが、人間とは何かと考えてみたら、もっと恐ろしくなってきた。

もしかしたら、人間はウィルスより最悪な存在かもしれない。

人間とは、樹木を損ねるもの。

人間とは、他の動物を殺して楽しむもの。

人間とは、自然を破壊して後悔しないもの。

人間とは、己の家である地球を破壊して平気な存在。

人間とは、同類の人間をも殺してしまう恐怖の存在。

人間とは、自己中心の存在。

人間とは、常に己と異なる存在を排除しようとするもの。

人間とは、何とも傲慢な生き物だ。

もしかしたら、

ウィルスはそんな人間を戒めているのかもしれない。

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人生とは!


 人生を甘く見ちゃ行けない。簡単そうに見えて、実は複雑でなかなか操作しがたいものなんだ。

 芥川竜之介は言った。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険だ」

 我が人生も同じようなものだ。重大に扱うのは馬鹿げている。しかし、軽々しく扱うつもりもない。危険は避けたいものだ。

 誰のどんな人生も、重いも軽いもない。それぞれに価値がある。ただ、みな同じく、重大に扱いすぎる必要もなければ、また、軽々しく扱ってはいけないものだ。

 世の中は変化しつつある。今、ここで、なすべきことはただ一つだ。己の生き方を柔軟にしつつ、世の中の流れに対処して行くことだ。

 そして、自分の人生は自分のものであって、誰かのものではない。自分の人生を誰かの犠牲にしたり、他人の人生を自分の犠牲にしたりしてはいけない。自分の人生を独自の価値があるものとして生きていくべきだ。

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緊急事態の中で!


 この二ヶ月あまり、ぼくは友達とも同僚とも、教え子とも、面と向かって話をしていない。ひどく、閉鎖的な暮らしをしている。

 ただ、彼女だけは別格だ。寝る時以外、毎日顔を合わせ、料理、食事、散歩、買い物をいていて、同じテレビ番組をいっしょに見ている。

 毎日同じような会話をしていて、まるでテープレコーダーのように繰返している。そろそろ飽きが来そうな時期だが、こればかりはどうにもならない。

 何しろ、彼女はぼくの母だ。一日に、同じ会話を何度もしている。今日は何日、今日は何曜日、今日は何をした等など、すべて忘れている。

 ぼくは彼女を大切にしたいが、アルコールを飲み過ぎて、毎朝、二日酔いで、昨日の記憶はほとんどない。昨日、一昨日、そればかりか、今日の記憶もないことがある。

 病院に行って、帰ってから、今日、どこに行ったか覚えていない。スーパーに行きたいというからいっしょに行って、そのスーパーに入ろうとしたら、ここはどこ?と言う。

 アルコール中毒で認知症の母はともかく笑える。ひどく笑える。知っていたことばも忘れる。餃子と焼売の区別も酎ハイとビールの違いもわからない。

 ぼくは、毎日、笑いながら、「酔っ払いだけは止めてくれよ!」と言い続けている。なぜなら、これが母の晩年なのだから、できるだけ平和な日々を過ごしてほしいと願っているのだから。

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Whack a Mole(もぐらたたき)!


日本語で言うと、「モグラたたき」。次はモグラがどこから顔を出すかわからない、そいつを叩くのだが、なかなか終わりのないゲームだ。

コロナウィルスのパンデミックも似たようなものだ。次にどこでパンデミックが発生するかなかなかわからない。だが、起こったら、顔を出したら、すぐに叩かなければならない。

夏に向かっている北半球では各地で感染者数少なくなっている。もしかしたら、パンデミックは終息に向かうかも知れない。もちろん第二波は必ず来る。それをどれだけ小さく出来るかは各国首脳の手腕にかかっている。

だが、南半球は、今、冬に向かっている。アフリカ、オーストラリア、南米はこれから第一波、あるいは第二波が来そうだ。どこの国でも同じだが、他国を見習い、その波を何とか小さくすることが大事だ。

孫子の兵法に、「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」というが、今の日本は「敵を知らず、己を知らず、百選危うし」だ。実態を正確に把握することこそが、第二波の備えになる。

日本だけではない。世界ではすでに「もぐらたたき」が始まっている。一つの地域で収まれば、他の地域でパンデミックが起こる。収まったと思った地域で、またパンデミックが起こる。日本国内でも同じようなことが起こりそうだ。

今や、我々は緊急事態の中でひたすら耐えるほかないようだ。これが、新しい日常であるようだ。どうにもできない現実がここにある。

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