正義の殺人というナンセンス!


この世に殺されていい人間はいない。

平和の名の下に、人を殺すなんてルールはない。

どんな理由があろうが、人を殺してはいけない。

今、世界の独裁者たちは正義の名を語り、

多くの人々を殺している。

殺人はすでに悪だが、戦争も悪なのだ。

正義の殺人も、平和のための殺人も

殺人はすべてナンセンスだ。

今、世界に必要なのは最も基本的な道徳だ。

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先が見えない!


温暖化に新型コロナウィルス、

地球は、人類は未曾有の危機に瀕している。

いま必要なのは清廉な政治家だ。

だが、日本の政治家は嘘ばかりついている。

アメリカもロシアも中国も自己ファーストだ、

誰もが自己ファーストである限り、

誰の目にも未来を見通すことはできない。

展望のない世界、展望のない地球だ。

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人生


「人生は重い荷物を背負って急な坂道を登るようなものだ」

と誰かが言った。

だが、荷物が重すぎると、転んで、坂道を転落してしまう。

だから、

荷物はできるだけ軽くしたほうがいい。

特に年を取って、足腰が弱ったら、必要最小限にしたほうがいい。

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買うという選択肢はない


宝くじのコマーシャルに出てくるタレントが言う言葉、

「買わないという選択肢はないやろ!」

これを聞くたびに僕はイライラする。

ぼくの場合、「宝くじを買うという選択肢はないのだ」

宝くじだけではない。競馬、競輪、ボートレース、パチンコ、すべて、やってみるという選択肢はない。

ぼくはギャンブルに溺れて死にかけた。

一攫千金を狙って大儲けする人は僅かな人間。その他大勢の人はギャンブルで苦しむ。

ギャンブルは恐ろしい。人の人生を滅ぼす。

そんな宣伝に出ているタレントは人の破滅を招く担い手だ。

彼らタレントは、麻薬の売人と同じだ。そんな連中がテレビという公共放送に出ているのは許しがたい。

この国から、麻薬をなくすのは正しいことだ。それと同じくギャンブルもなくしてほしい。

そして、そんなコマーシャルに出ているタレントが出る宣伝、および、番組は一切見ないと決めた。

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ジレンマ!


今週は忙しい。

忙しいと、仕事が多くて収入もあっていいですねと言われそうだが、

実はそうでもない。

何しろ、給料がもらえる仕事の時間より、病院に行く時間のほうが多いのだ。

時間給による収入と、通院で支出を比べたら、確かに仕事の時間給のほうが多い。

だけど、ほとんど差がないので、わずかな黒字だ。

だけど、そんなことでは生活は苦しくなるばかりだ。

病気は仕事を少なくし、病院にかかる金を増やす。

どうにもならない。

仕事を増えれば、体が持たない。

仕事を減れば、生活が苦しい。

どうにもならないジレンマだ。

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心の闇


ぼくの心の中には大きな闇がある。

記憶力の悪いことはもちろん、歪んだ心があることだ。小さい頃、学校の先生たちに「お前はだめだなあ」と言われ続け、植え付けられた劣等感。繰返してきた物忘れ、それから、親の期待を裏切り続けたこと。愛する人がいても、叶えられない。ぼくが接する人は不幸になるという自虐的な心。ぼくは生れない方がよかったと思って自殺未遂を繰返した青春。

だけど、ここまで生きてきた。三十歳のころ誓った。亡くなった親友や家族の人生を引き継いで生きることを。ぼくの心の闇を素直に認め、否定も肯定もせず、まるで持病を抱えるようにしながら生きる覚悟をした。決してぼくはだめ人間ではない。ただ人と違うだけさ。人と違うことを誇らしく思いながら生きようと思った。

そうは言っても、それから、何度も失敗を重ね、人を傷つけ、後悔しながら、今に至るまで生きてきた。ただ、死ぬ時が来るまで精一杯ダメ元で生きる覚悟だけはできた。

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アレルギー


ぼくはアレルギーのようなものが二つある。

一つは牛乳だ。牛乳を飲む。あるいは、アイスクリームやかき氷などの乳製品を食べたら、すぐに腹を壊す。小学校のころから、ずっと続いている。何度も危機を迎えた。

もう一つは異性だ。少しでも接近しすぎると、ぼくは恐ろしいくらいに過呼吸になり、死にそうになる。接近しないことだ。

「君子危うきに近寄らず」だ。

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自利利他!


ぼくは人のために自分の人生を犠牲にしたことはない。人にそう見えたとしたら、それは誤解だ。ぼくはしたいことをしているに過ぎない。

同居している母が夜中に酔っては、「いっしょに住んでくれて、ありがとう!」と何度も言う。だけど、やっぱり、ぼくはしたいことをしているのだ。

ぼくは母のために生きているのではない。他の人のために生きているのでもない。自分の人生のために生きている。

自分のために生きて、それが誰かのためになる、いわば、自分の利が他人を利するという「自利利他」の精神こそが理想だ。

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年を取ること


年を取るということは、経験を積み重ねて、知識や教養や友人を増やしていくことだ。また、時には多くの財産も手に入れていく。時には多くの精神的な財産も手に入れていく。

しかし、失うものも多い。友情も手に入れては手を離れていく。財産も手に入れては手を離れていく。最も失いたくないのは時間だが、これだけはただ刻々と失う一方だ。

なかなか失わないように思われる経験、知識、教養、精神的財産などは手に入れる一方のように思えるのだが、ある時から、ポロポロと崩れるように失われていく。

経験した記憶も学んで手に入れた知識も曖昧になっていく一方だが、消えない記憶や知識もある。嫌なこと辛かったことだけは記憶からなかなか消えないようだ。

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失敗ばかりの日々!


小さな失敗が人を傷つけたり、大きな災いを引き起こしたりすることがある。慎重でなければならない。

しかし、小さなことを気にしすぎてはいけない。失敗を恐れてはいけない。慎重であると同時に大胆さも必要だ。失敗があって成功もある。

ぼくは大きな成功を求めてはいない。ただ、人を傷つけたくない。人を不幸にしたくない。人を幸せにしたい。そう思いながらもへたくそな生き方しかできない。

そう、今できることは、この世界の平和と人々の幸福を願いながら、日々を誠実に生きるほかない。

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