「詩の表現は素樸(朴)なれ。詩のにほひ(い)は芳醇でありたい。」萩原朔太郎(1886.11.01~1942.05.11)
The expression poetry should be simple. The atmosphere of poetry should be mellow.
わたしが詩を書こうとしたのは十代のころだった。その時、最も強く影響を受けたのは萩原朔太郎だ。彼は1886年11月1日に群馬県前橋市に生れた詩人だ。旧暦では新月である月の最初の日を朔日といった。それで、朔日生れの長男ということで、「朔太郎」と名付けられた。
主に大正時代に活躍し、日本の近代詩を開拓したことで、「日本近代詩の父」とも呼ばれている。見出しの言葉は彼の代表作である『月に吠える』(1917.1.10)の序に書かれた言葉だ。以下に『月に吠える』の序から、人間の孤独と愛について書かれた部分を引用する。
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人間は一人一人にちがった肉体と、ちがった神経とを持っている。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。原始以来、神は幾億万人といふ(う)人間を造った。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかった。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異なっている。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところを持っているのである。この共通を人間同士の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
『月に吠える』序
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彼の詩の中で、わたしがもっとも影響を受けた詩は以下の詩、「竹」という題の2つの詩編だ。
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竹
ますぐなるもの地面に生え
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
地上にするどく竹が生え、まつしぐらに竹が生え。
『月に吠える』竹とその哀傷
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竹
光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ、
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
『月に吠える』竹とその哀傷